Superfly 越智志帆が紅白2015出場って 「通過点でしょう?」 [エンタメ]
ありました!NHK ONLINEサイト紅白歌合戦の紅組みの
リストにSuperflyが掲載されてます。
ここ何日かSuperflyが紅白に選ればれるだろうとの情報が飛び交ってましたが、
決まりましたね。
このブログでも取り上げたレベッカも紅白決まりした。
なにか(初)の文字が妙な感じをお二人とも私としては受けてしまいます。
紅白の出場メンバーには、カバーアルバムも出してる徳永英明、
そしてこれまたこのブログで取り上げてる福山雅治そしてそして、
あの美和明広など(あ!白組のメンバーだけですね)出場しますので
Superflayとしてもこの紅白を切っ掛けにいろいろな方と
交流を深める機会になればいいなと思ってます。
なぜならSuperflyメジャーデビュー直後にユニットから抜け
メインソングライター兼ギタリスト多保孝一のいままでのバックアップの存在が
大きなと私は思っているからです。
結果論かもしれませんが、まんま2人組ユニットでここまでやれただろうか?
あの曲は生まれたのか?そしてあの曲もと、
勝手に想像をめぐらしてこのブログを書いております。
『Superfayの誕生間際の当時とは?2003年』
越智志帆と多保孝一の接点は松山大学の軽音楽サークルでの新入生歓迎ライブで
上級生の多保孝一とバンド演奏したのがはじまりで、まだSuperflayの名前ではなかったようです。
ただ展開が早いです。多保孝一が松山大学のサークル内で結成したSuperflyに越智志帆が入ってますね。
越智志帆が、松山東雲短期大学ですから同じ地元松山の学校、音楽、バンドで活動してたようです。
松山東雲短期大学はクリスマスチャペルなどが行われるキリスト教精神に基づいた学校です。
創設時は松山女学校と言う名前でした。
参考にしてる松山東雲短期大学のウィキペディアを中ほどまで読んでいて驚きました。
なんと森恵もこの学校出身だったんですね~!
『メインソングライター兼ギタリスト多保孝一がぬけたこの1年・・・』
多保孝一がほとんどの楽曲を2014年『Superfly BEST』アルバムまで担当してるわけですね。
越智志帆やSuperflayの関係者からは「多保先生」と呼ばれる愛称名を持った人です。
2006年3月上京、その前年、越智志帆と多保孝一は東京に上京を決めてるんですね。
2007年4月には、「ミュージックステーション」春うた3時間スペシャルで
「ハロー・ハロー」を歌ってます。
ここまでで振り返りますと越智志帆と多保孝一のSuperflyは結成から約4年で
「ミュージックステーション」でデビュー直後に新人でデビューしてるんですから
すごいとしかいいようがありませんね。
それでも、つんくや福山雅治と同じようにメジャーにいたるまでは苦しんだようです。
2007年11月に多保孝一が楽曲に専念をオフィシャルサイトにて発表。
実に2007年4月には、「ミュージックステーション」から約半年です。
私は、多保孝一は「決断力がある人」だなと感じますね。
そして2008年2月に「愛をこめて花束を」が発売されてます。
ここまで2003年の松山大学でのバンド形成時からざっとSuperflyは5年間で
「愛をこめて花束を」に来てることになりますね。
変な表現かもしれませんが4年大学を一度留年して社会人になった時間ですよ!
自分でブログしてなんですが、5年はけっして短い時間ではないですよね?
でも社会人、大人になるとなんとこの5年はあっという間なんです。
あなたも、こんな大変なことがあるけど素晴らしい5年間を過ごしたいと思いませんか?
一つだけ私でも解っていることあります。
越智志帆と多保孝一のSuperflyは、音楽で、自分たちのユニットでどうにかして行こうと
松山から上京して行動を起こしたことですね。
そして、この2015年12月大晦日の紅白に出場です。
越智志帆のSuperflyはこれからですね。
「紅白出場は貴重な体験だった。でもそれは私のそして多保孝一の大きな通過点」と
越智志帆の気持ちの中で将来いつか、つぶやく日を想像してる私です。
【情報参考元】ウィキペディア
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